沿革
兵庫県立西脇高等学校 童峰会 沿革
昭和15年 | 兵庫県立西脇工業学校を設置 童子山の麓に染織科定員200名(新年度募集人員40名)で開校 八紘一宇をかたどった校章制定、校友会誌「西工」創刊 |
昭和16年 | 西脇工業学校報国隊編成 |
昭和17年 | 校旗入魂式、父兄会結成 |
昭和19年 | 染織科色染分科を工業化学科、紡織分科を紡織科に改称。校友会誌休刊 |
昭和20年 | 学制改革により第1・2回卒業式、童峰会発会 |
昭和22年 | 新学制により併設中学校を設置 第2・3学年生徒を編入、新入生の募集停止、父兄会を育友会に改組 校舎焼失、残った2棟を仕切り仮校舎で授業 |
昭和23年 | 復旧建築工事に着手、「西工校友会報」発刊 新制高等学校発足により、兵庫県立西脇工業高等学校と改称 定時制課程を設置 |
昭和24年 | 復旧校舎落成式、「西脇工高復興記念誌」発刊 西脇工業高等学校校友会誌「若鷹」創刊 学区制により兵庫県立西脇高等学校(県下初の総合制高校)と改称 工業課程(紡織科・工業化学科)・普通課程ならびに家庭課程(家庭科)を設置 「西陵讃歌」発表、第1回童峰会総会、生徒会憲章制定・発布、「西脇高校新聞」創刊 第1回西高祭、第1回生徒大会 |
昭和25年 | 「生徒心得」発布、「西陵スポーツ」創刊、運動部応援歌「ああ誰ゆえにたぎる血ぞ」完成 創立10周年記念式典、「創立10周年誌」発刊、育友会より校旗寄贈 生徒会憲章改正 |
昭和26年 | 西脇高等学校校歌制定、童峰会報「童峰」創刊、体育振興会結成、寄宿舎設置 |
昭和27年 | 女子制服(紺または黒のダブル型スーツ)制定 |
昭和29年 | 文部省産業教育指定校(工業化学科)、集団赤痢のため3週間臨時休業(9月) |
昭和31年 | 応援歌「晴天ひろがる」誕生 文部省指定研究発表会(工業化学科)開催 |
昭和34年 | 創立20周年記念式典、「創立20周年誌」発刊 |
昭和38年 | 工業課程(紡織科・工業化学科)を新設の兵庫県立西脇工業高等学校へ移籍 家庭科を家政科に改称、寄宿舎廃止 集中豪雨のため杉原川氾濫・居残りの生徒約80名(生徒宅の半壊2軒・床上浸水5軒・床下浸水75軒) |
昭和39年 | バレーボールを校技に制定 |
昭和40年 | 第19回文化祭(25周年記念) |
昭和42年 | 「本校における女子教育の考察」発刊 |
昭和43年 | 定時制課程を兵庫県立西脇北高等学校として分離独立 |
昭和44年 | 「研究紀要」第1号発刊 頭髪の自由化(12.24〜) |
昭和45年 | 「西高育友会報」創刊 |
昭和46年 | 「30周年記念誌」発刊 |
昭和49年 | 現在地に移転、校舎竣工記念式典(童峰会)、創立記念日(6/20) |
昭和51年 | 校舎竣工記念式典(育友会)、旧校舎跡地記念碑除幕式 |
昭和52年 | 「同和教育実践報告集」発刊 |
昭和58年 | 県下随一の天体望遠鏡設置 |
昭和61年 | 学校賞メダル制定、「研究紀要」復刻号発刊 |
昭和63年 | 「童峰会報」第8号復刊 |
平成元年 | 学校賞メダル改定(横尾忠則氏デザイン) 創立50周年記念式典、「50周年記念誌」発刊 |
平成9年 | 家政科を生活情報科に改称、生活情報科で推薦入試導入 新制服(ブレザースタイル)制定 文部省情報処理教育指定校(情報処理教育推進委員会・家庭科) |
平成10年 | 文部省指定研究発表会(生活情報科)開催 |
平成11年 | 創立60周年記念式典、「60周年記念誌」発刊 |
平成15年 | 文科省学力向上フロンティアハイスクール研究指定(平成17年迄) |
平成16年 | 家庭クラブ全国大会 文部科学省大臣賞受賞 ゆずりは賞受賞 |
平成18年 | 学力向上ステップアップ研究指定(平成20年迄) |
平成19年 | 普通科に特色選抜・科学類型コースを設置 体育館耐震工事完了 |
平成20年 | 文科省目指せスペシャリスト研究開発指定(平成22年迄) ボランティア大賞米国親善大使賞受賞 ゆずりは賞受賞 |
平成21年 | 創立70周年記念式典「70周年記念誌」発刊 |
令和元年10月26日 | 創立80周年記念式典予定 |
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